【伊藤若冲】伊藤若冲ゆかりの相国寺にある承天閣美術館と伊藤若冲のお墓を紹介します

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京都の今出川、同志社大学の近くにある相国寺は、伊藤若冲ゆかりのお寺です。
相国寺から 承天閣美術館と 伊藤若冲のお墓を紹介したいと思います。

相国寺とは?

京都五山の一つに数えられる相国寺は、室町時代に足利義満によって創建された禅寺です。
若冲は、当初から三十幅の花鳥画を、名のある確かなところに収めて後世の理解を待とうと願いました。
以降相国寺によって、大切に守られ、明治時代には皇室に献納されて、今日まで無事に保たれました。

相国寺への行き方

一番行きやすい方法は、地下鉄烏丸線の今出川駅下車。
今出川駅から約7分です。

以下が相国寺の地図です。

承天閣美術館とは?

伊藤若冲が「釈迦三尊像」と「動植綵絵三十幅」を寄進した相国寺の中にある美術館です。

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この美術館は、昭和59年4月、相国寺創建600年記念事業の一環として、美術品の保存および展示公開、
修理、研究調査、禅文化の普及を目的として建設されました。
境外塔頭の金閣・銀閣両寺も含めた寺宝が集められています。

常設展で伊藤若冲の作品が観れます

ここでは、若冲の作品「鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付」と「葡萄小禽図床貼付」が常設展示されており、静かな空間の中で間近に鑑賞することができます。鹿苑寺(金閣寺)は、相国寺派の末寺です。その障壁画を任されたのは、絵師の道に専心するようになってわずか4年の若冲でした。その一部が移設され、所蔵されています。

森田りえ子さんの作品が展示されていました

現在行われている展示は、2007年に金閣寺方丈杉戸絵を奉納した森田りえ子さんの作品です。
若冲のオマージュとして「ホウオウ」があり、型にはまらず自由な発想の日本画作品が展示されています。
今年の7月からは、「若冲生誕300年記念 伊藤若冲展」を開催する予定です。展示内容がどうなるかとても楽しみです。

伊藤若冲の墓があります

相国寺本山墓地には、伊藤若冲の墓があります。

相国寺の入り口から、伊藤若冲までの墓への行き方を動画で紹介します。

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「釈迦三尊像」と「動植綵絵」を寄進した50代の若冲は、自ら寿蔵(生前墓)を相国寺の塔頭、松鷗庵に建立することを決め、その墓石に刻む銘文を大典禅師に頼みました。
この「若冲居士寿蔵碣銘」は、若冲の境遇や学画、制作の状況を知り尽くした大典が撰文したものとして、若冲の人生を知る上での根本資料となっています。
若冲の墓の隣には、足利義政の墓が、そのまた隣には、藤原定家の墓が並んでいます。

伊藤若冲のお墓の本家は、伏見稲荷大社の近くの石峰寺にあります。

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晩年の若冲は?

晩年の若冲は、深草の石峰寺の門前で尼になっていた妹と余生を送りました。制作活動は旺盛で、「五百羅漢図」を描いて石工たちに彫らせた、五百羅漢の石像群は、本堂裏手の竹林に群立しています。釈迦の誕生からはじまり、托鉢、涅槃、賽の河原などの名場面を再現したものになっています。どれも表情が豊かで姿勢も様々。当初は1000体以上もあったという石像は、現在、530体が残るのみです。本堂の南には若冲の墓があり、命日に当たる9月10日には毎年、若冲忌の法要が営まれ、若冲作の掛け軸が一般に公開されているそうです。

若冲は、石峰寺で天寿を全うしました

享年85歳で天寿を全うした若冲は、縁の深かった伏見の石峰寺に土葬され、遺髪が伊藤家の菩提寺である宝蔵寺と相国寺に埋められました。法名は米斗翁若冲居士。『米斗翁八十五画」と款記を入れた『鷲図』は、迫りくる死を予感して前方を見据えていままさに飛び立とうとする若冲の姿にも見えてきます。

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